アンビリバボー 韓国大統領暗殺未遂!北朝鮮ゲリラ金新朝(キム・シンジョ)らによる青瓦台襲撃未遂事件/1.21 事態!11月23日

2018年10月8日

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奇跡体験!アンビリバボー(2017年11月23日放送)は、韓国で起きた「青瓦台襲撃未遂事件」と呼ばれる韓国朴正煕大統領の暗殺未遂事件!
投降した北朝鮮ゲリラ兵・金新朝(キム・シンジョ)は、会見で「大統領暗殺が目的だった」と明らかに!
その真意と彼のその後の人生は!?

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青瓦台襲撃未遂事件(韓国大統領暗殺未遂事件)とは?

1968年1月21日に起きた韓国大統領暗殺未遂事件「青瓦台襲撃未遂事件」は「1.21事態」とも呼ばれる事件です。

朝鮮戦争の停戦(1953年)から15年後の1968年1月、韓国の京畿道坡州(キョンギド・パジュ)山中で、村人が2名の軍人と遭遇しました。

この2名の軍人は韓国軍第26師団の制服を着ていますが、実は北朝鮮軍のゲリラ部隊員で、1月中旬北朝鮮を出発した31名の兵士の舞台の偵察員でした。

この31名の兵士は、北朝鮮第124部隊第1中隊第1小隊の隊員で韓国軍第26師団の模擬制服で変装して休戦ラインを突破し、韓国領に侵入していたのでした。

第124部隊は、対南工作を専門とした第283部隊が元となる舞台で、韓国に侵入したのは朴正煕(パク・チョンヒ)大統領(2017年罷免されたパク・クネ大統領の父)と閣僚の暗殺というゲリラ活動が目的でした。

遭遇した村民を殺すのは簡単でしたが、田舎なので通報する場所も無いだろうし、遺体を埋めるにも凍った土を掘って埋めるのも大変という事で、村民の身分証などで住所氏名の確認をし、「通報をすれば一族もろとも皆殺しにする」と脅迫だけして開放しました。

しかし、情けをかけたのが災いし、村民は脅しには屈せず、警察に通報しました。

そして、ゲリラ部隊は1968年1月20日午後5時頃、ソウル市内北郊にある北漢山の碑峰に到達。

持参した日本製の背広とバーバリーのコートに身を包み、機関短銃と拳銃と手榴弾だけを持って、残りの荷物を地中に埋め大統領官邸・青瓦台を目指しました。

しかし、紫霞門で検問に遭遇し、1台のジープが止まり鍾路警察署長・崔圭植(チェ・ギュシク)を乗るその男性は、身分証の提示を要求し「我々は防諜隊員で、これから隊に帰還途中で、あいにく身分証は携帯していない」と答えましたが「鍾路警察署長を知らない防諜隊員がどこにいる?」と問いただしてきた為、ゲリラは鍾路警察署長を射殺して銃を乱射しながら青瓦台の800m手前まで迫りながらも韓国軍と警察部隊の反撃に合い逃亡しました。

そして、ゲリラ部隊は2週間に及ぶ掃討作戦により、1名が逮捕、29名が射殺され、1名が北朝鮮に逃亡しました。

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金新朝(キム・シンジョ)少尉

身軽にする為携帯した武器は、護身用の手榴弾のみを持ち逃亡した金新朝(キム・シンジョ)は、仁王山の北西斜面の8合目まで逃げ込んでいました。

しかし、岩陰に隠れていた韓国軍兵士が目の前に出して来ました。

自決を決意し手榴弾を取り出しましたが、3年間も会っていない妻や子供達にもう一度会いたいとの思いが脳裏をよぎり投降して生き延びようと思うも滑り落ちてしまいました。

幸い手榴弾は不発弾で、金新朝は、韓国兵に捕らえられソウル市西大門区弘恩洞の警察署へ連行されました。

解放までの約1年間に尋問にあった金新朝少尉は「軍事政権の朴大統領が抹殺されれば、韓国民衆は必ず労働者革命を起こすと北朝鮮は判断した」と供述しました。

金新朝少尉は会見で、テレビカメラを前に「私は朴正煕大統領の首を取りにやってきた」と言い放ち、韓国国民に衝撃を与えました。

朴正煕大統領は事件直後、北朝鮮が謝罪しない場合は、報復攻撃を行うべきとの書簡をアメリカのリンドン・B・ジョンソン大統領に送りました。

しかし「青瓦台襲撃未遂事件」の2日後日本海で北朝鮮の諜報活動を行っていたプエブロ号が北朝鮮に拿捕される「プエブロ号事件」が発生しました。

アメリカは報復のために空母エンタープライズを派遣し第2次朝鮮戦争の緊張が走りましたがましたが、アメリカはにベトナム戦争の真っ只中で、北朝鮮と同盟していたソビエト連邦の介入が予測され戦争の余力が無いアメリカとしては戦争を避けたい自体となりジョンソン大統領は、外交交渉で事態を収めました。

その現実から朴正煕大統領は軍の北進を断念しました。

金新朝 その後

1970年に韓国国の市民権を得て支援者の女性と結婚し子供を授かりました。

現在は、京畿道南楊州市(キョンギド・ナムヤンジュシ)のソンラクサムボン教会の担任牧師として活動し第二の人生を送っています。

また2010年10月、脱北した故・黄長燁(ファン・ジャンヨプ)元朝鮮労働党書記の葬儀会場でかつて暗殺しようとていたた故・朴正煕大統領の娘・大統領就任前の朴槿恵(パク・クネ)に会い和解しました。

そして、年に何度か健康管理の為、自分が侵入した仁王山(インワンサン)と北岳山(ブクアクサン)を登山しているそうです。

青瓦台襲撃未遂事件 まとめ

韓国政府は、青瓦台襲撃未遂事件の報復として金日成主席暗殺の684部隊を設立し、隊員として31人の志願者を実尾島(シルミド)に集め設立し訓練を重ねました。

しかし、政府の外交政策の転換で暗殺計画は中止され政府は684部隊の抹殺を決定しました。

これを知った684部隊員は反乱を起こし、1971年8月23日、大統領官邸青瓦台にバスを乗っ取り抗議の為向かいますが、韓国軍及び警察と銃撃戦となり、鎮圧された実尾島事件(シルミドじけん)が起こりました。

この映画は実話として「シルミド」とのタイトルで2003年映画化されました。

※映画では31人の志願者は、脚色として死刑囚や無期懲役囚などの重犯罪者として描かれています。

■シルミド予告動画

———- 青瓦台襲撃未遂事件後以下の事が判明しました ————————-

◇ 金新朝師が韓国の市民権を得ると金新朝の両親は処刑され、親族は北朝鮮を追放されたそうです。

◇ 故・金日成主席が1972年に北朝鮮を訪問した現・韓国国家情報院の李厚洛(イ・フラク)部長に「青瓦台襲撃未遂事件は、朴正熙大統領に本当に申し訳ないと思っている。北朝鮮の妄動分子が自分のあずかり知らぬ事件だった」と発言した事に金氏は憤りを感じています。

◇ 実はゲリラ部隊には帰還命令が出ていましたが暗号で命令が下されており解読が出来ず31名のゲリラは大統領府を目指していた事が判明しています。

◇ 金新朝氏の発言は記憶違いの為か、証言が一致せず例えば不発弾だった手榴弾は手にせず、直ぐに投降した、またゲリラは33人だったとも語っています。

サムネイル画像、アイキャッチ画像、本文中の画像は、wikipedia青瓦台の画像を使用しています。

本日は最後までご覧いただきありがとうございました。

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