歴史秘話ヒストリア 電気自動車【たま】はキ77を開発したヒコーキ屋の夢!見逃し動画配信・再放送日程
今回の投稿は、NHK歴史秘話ヒストリア「走れ!たま 知られざる電気自動車の時代」(2019年11月28日放送分)についてです、
現在はエコの観点から電気自動車(EV)へと時代が流れています。
しかし、実は日本は電気自動車の魁で、第二次世界大戦直後からガソリン車よりも電気自動車が普及していたのをご存知でしょうか?
たま電気自動車株式会社が生産する「たま」が1947年~1951年に1099台もの生産を行われていたのでした、
開発したのは敗戦により飛行機の生産を禁止されていた「立川飛行機」の開発陣、ヒコーキ屋達でした、
この投稿では、歴史秘話ヒストリア「走れ!たま 知られざる電気自動車の時代」のあらすじ(放送内容)と見逃した方、もう一度ご覧になりたい方、再放送まで待てない方に見逃し動画配信のご案内をご紹介します。
「走れ!たま 知られざる電気自動車の時代」あらすじ(放送内容)
今回のヒストリアは電気自動車の魁となった「たま自動車」製のEV車「たま」の秘話に迫りました。
「たま自動車」は第二次世界大戦終了後、GHQにより飛行機の生産を禁止された日本の航空機会社「立川飛行機(立川飛)」の設計陣、開発者の有志が立ち上げた会社です。
「立川飛行機」は、その名の通り東京都立川市の旧日本陸軍立川飛行場に隣接し、現在は多摩都市モノレールが開通し元敷地に名残りの駅名「立飛駅」が作られています。
立川飛行機では、日本陸軍の練習機、偵察機、の設計、生産を行っていました。
また、戦闘機の量産も委託されており、太平洋戦争で陸軍では最大の生産数だった中島飛行機製作所の一式戦闘機「隼」、四式戦闘機「疾風」の今で言うOEM生産を行っていました。
中でも自社開発のキ77は、無着陸飛行の最長記録を持つ機体でした。
今回の主人公は、このキ77の開発に携わった外山(とやま)保技師、田中次郎技師が中心となります。
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戦後、「立川飛行機」の設計陣が
電気自動車「たま」を設計した様に、
日本海軍の零式艦上戦闘機に変わる
最後の戦闘機「紫電改」を開発した
川西航空機(現:新明和工業)
の設計人が、
遊園地のジェットコースターの礎を作ったエピソードもヒストリアで紹介されました。
後楽園遊園地・国産初ジェットコースターの開発は日本海軍戦闘機・川西(新明和)/紫電改の手脚担当・喜多一晴氏
エピソード1 飛行機屋が車?
4万人以上の従業員は辞め、残さたスタッフは米軍の仕事を請け負っていました。
ジュラルミン製の棺桶なども作っていました。
自分たちの技術を活かせるものを作れないか?
そこで、有志が集まり
外山(とやま)保技師が主体となりました。
外山技師は、欧米の技術に詳しく、国民所得が車の値段と同じになった時に車は売れるようになる、と考えていました。
そして設計を担当した田中次郎はエンジンを何にするか?
を考えていました。
ガゾリンは統制されており、余っている電気は統制外でした。
電力を大量に使用する工場が爆撃で焼けてしまった為、電気は供給過剰になっていました。
水力発電所は空襲を受けず無傷だった事も有りました。
エンジンの知識は有りましたが、車の知識は無いので、仕組みを知る為にアメリカ軍の車の下に潜り込みスケッチするなどしたそうです。
しかし、最悪な事に立川飛行機の工場が米軍に接収されてしまいました。
立川飛行機での外山技師の最高傑作77は無着陸飛行の最長記録を持つ機体でした。
しかし、テストの為、米軍の星条旗を描かされアメリカに送られてしまいました。
外山技師達は、立川飛行機を退社し、東京電気自動車株式会社を府中に立ち上げました。
この頃、GHQにより飛行機の生産を禁止されていた航空機会社は生き残る道を模索していました。
海軍の最高傑作機・零式艦上戦闘機(零戦・ゼロ戦)を制作していた三菱重工業は機体に使用されていたジュラルミンを利用し軽量の自転車十字号を制作し人気が出ていました。
陸軍の戦闘機を中心に制作していた旧中島飛行機製作所は、富士精密工業としてはミシン
そして、立川飛行機は洗濯機を製造していました。
また、紫電改を開発した川西航空機(現:新明和工業)
の設計人が、
遊園地のジェットコースターの礎を作ったエピソードもヒストリアで紹介されました。
後楽園遊園地・国産初ジェットコースターの開発は日本海軍戦闘機・川西(新明和)/紫電改の手脚担当・喜多一晴氏
「たま号」誕生
紆余曲折を経て東京電気自動車株式会社では、トラックEOT-47と乗用車のE4S-47が開発されました。
乗用車のE4S-47は多摩にあったので「たま号」の名称を与えられました。
蓄電池は交換出来るよう車体下部に収められていました。
運転席の下はモーターと電池が配置されています。
これは今で言うミッドシップエンジンにあたり低重心化にも貢献して車の安定した走りに貢献しています。
デザインにもヒコーキ屋としての拘りが伺えました。
ボンネットはアリゲーター式で整備容易になっています。
その頃の車は横に開くタイプのボンネットが主流でした。
それまで車体にステーで外側にはみ出していたライトは車体に半分埋め込まれています。
これはキ77の様な双発飛行機のエンジンが翼に埋め込まれているイメージのデザインです。
幻の電気自動車たま 性能試験を勝ち抜け!
完成後、国が主催する電気自動車性能試験に参加する事になりました。
それは、1回の充電で走れる距離・速度を試験します。
その結果、高性能と認められてば当時極端に不足していた鉄板・ゴムなどが優先的に配給される事になるのでした。
大手メーカーも参加する為、会社の存亡をかけた試験でもありました、
結果を残す為、田中氏は、以下の指示を与えました。
作戦その1:バッテリーの能力を最大に発揮せよ
先ず、バッテリーの効果的な使い方が思案されました。
バッテリーは新品よりも数回した方が充電する容量が増えます。
しかし、使い過ぎると劣化してしまい充電出来る容量が減ってます。
そこで、実験を繰り返し充電量が最も高まる使用回数を把握しました。
試験車のバッテリーはその結果導き出された使用回数のものが使われました。
作戦その2ギアの抵抗を減らせ
モーターの動きをタイヤに伝えるディファレンシャルギアには粘りの強い油が注入されています。
その為、出だしで大きな抵抗がかかります。
そこで、走行前予備のバッテリーで後輪を回しておきました。
これで油が馴染み、抵抗を減らして電気を節約が出来るようになりました。
スタートは押せ
発進時にバッテリーを多く消耗します。
その為、発進時はスタッフ全員で押してバッテリーの消費を抑えました、
結果は・・・?
1948年(昭和23年)3月電気自動車性能試験が開催されました。
試験結果の報告は4位でした、
走行距離は、96キロメートル、平均速度は28km/hを記録していました。
因みに一般的な電気自動車車両の場合
走行距離は、50ロメートル、平均速度は20km/hでした。
これらの試験は、航空機会社時代に新機種を開発する時の厳しい、日本海軍、陸軍の審査を通る為に必要だった経験が活かされました。
例えばスピードを出すために、油で機体を拭いて空気抵抗を少しでも少なくなる様にするなど、色々な工夫が行われていました。
知られざる電気自動車ブーム
「たま」が販売された頃の日本人の月給平均は5万円でした。
それに比べ35万円という高額で販売されましたが、347台売れました。
それは、日本で販売される自動車の1/3を占めていました。
最も売れたのはタクシー会社でした。
それまでは木炭を使用していた為、始動に時間がかかる為、直ぐにエンジンが始動できる電気自動車が重宝したのでした。
経営難
技術屋集団の為、経営は問題が有りました。
「たま」は、モーターや電池のコストがかかりすぎていました。
利益よりも性能に力を入れすぎていたのでした。
そこで、財界の大物タイヤのブリジストンの石橋正二郎氏に資金協力を求めました。
石橋氏の自宅のある港区麻布の鳥居坂の
きつい勾配を難なく登りきりました。
その結果石橋氏の資金協力を得る事に成功しました。
突然の生産中止!?
1950年に勃発した朝鮮戦争の為、窮地に陥りました。
弾丸に使われる鉛を米軍が買い占めた為、鉛の価格が8倍に急騰してしまいました。
バッテリーには鉛が使用されているので経営を圧迫しました。
車の値上げをする事は不可能との経営判断から
「たま」の生産はヒコーキ屋の夢をのせたたま
1099台で幕を閉じました。
更に朝鮮戦争特需にり景気は湧き、車のエンジンの主流はガソリンに移りました、
ガソリンも簡単に入手出来るようになっていたのでした。
そこで、ガソリン車の開発が急がれました。
パートナーとして富士精密工業が選べれました。
富士精密工業は中島飛行機製作所として、海軍の零式艦上戦闘機、隼の栄エンジンの製造をしていた会社でした。
最初に開発された車は、上皇昭仁様(皇太子時代)の愛車にもなったプリンスでした。
1954年、たま自動車と富士精密工業は合併しプリンス自動車となりました。
そして名車スカイラインが開発され、日本グランプリでは、R380 がポルシェと渡り合い日本人を熱狂させました。
生前、田中次郎氏はプリンスについて・・・
プリンスの場合は、ヒコーキ屋なので新しいことなら何でもやっていこう
新しくなければ勝てないという気持ちが強かった
エンジニアにとってはやりたいことが出来たから楽しい会社だった
と回想していました。
そして、1966年(昭和41年)プリンスは、日産自動車と合併しました。
現在の車は、電装化、AI化が進んでおり、ヒコーキ屋達の夢は、新たな時代に引き継がれています。
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