田辺大根の通販/お取り寄せ&特徴!大阪なにわ伝統野菜みぞれ鍋レシピ【青空レストラン】
MC宮川大輔さんが全国の美味しい食材を紹介する日テレ系「満天☆青空レストラン」(2018年12月29日放送)は、大阪府旧東成郡田辺地区(現大阪市東住吉区)の浪速伝統野菜(なにわ伝統野菜)のひとつ「田辺大根」をゲストのお笑いコンビ中川家のお二人と、ガンバレルーヤのまひるさんと収穫します。
「田辺大根」の特徴は、白首の大根で可愛らしい太くずんぐりとした形です。
長さは20cm~25cm程で12月~1月が収穫の時期です。
同じ位の大きさの通常の大根と比べて値段はちょっとお高めですが、糖度が高い為、甘みがあります。
「田辺大根」のお取り寄せは、楽天市場、Yahoo!ショッピング、Amazonなどの通販サイトからお取り寄せが可能です。
また、葉もうぶ毛がないため、食べることも出来、葉を使った佃煮の通販お取り寄せも可能です。
「田辺大根」の通販/お取り寄せ
「田辺大根」の特徴とは?
「田辺大根」とは大阪の浪速伝統野菜に指定されている歴史ある野菜です。
外見の特徴は、根部は白い円筒形で、末端が少し膨らんで丸みを帯びています。
実はこの外見は、明治時代に品種改良された結果で、江戸時代は、蕪のような球形に近かったそうです。
長さは、20cm~25cmで太さ9cmほどです。
また、葉には毛じ(うぶ毛)がありません。
その葉を使った珍味も販売されています。
田辺大根菜、きくらげ、しそのみ、シシャモ卵を、しょうゆ、砂糖で似た佃煮「浪速恋しぐれ」が販売されています。
味は、肉質が緻密、粘りがあり、柔軟で糖度が高いのが特徴です。
平成17年10月に制定された「なにわの伝統野菜認証制度」により「なにわの伝統野菜」に認定されています。
「田辺大根」の歴史
「田辺大根」の歴史は古く、確認されている中でも一番古い記録は、以前青空レストランで紹介された「鳥飼なす(鳥養茄子)」と同様に、天保7年(1836年)の「新改正摂津国名所旧跡細見大絵図」の「名物名産略記」に、その名が確認されています。
江戸時代中期まで田辺地区の近くを流れる大和川は現在の流れと違って柏原から八尾、布施を北上し大阪城の東北あたりで寝屋川に合流していました。
大和川は中河内地域の農業用水として活用されていて、川船で物資を運ぶ水路としても重宝していました。
その半面、降雨の時期、大和川は氾濫して流域周辺にたびたび洪水被害を起こしており田辺も例外なく洪水被害を受けていたそうです。
1704年(宝永元年)中甚兵衛により大和川の付け替え工事が行われ大和川は現在の流れに代わりました。
この結果、河内平野は洪水もない肥沃な農作地に代わりました。
それだけで無く、河内木綿の産地にもなり、棉作を中心とした農村地帯と変化していきました。
肥沃な大地となった新田で大根の生産も行われる様になりました。
しかし、最初から現在の様な「田辺大根」が栽培されていた訳では無く、元々白あがり京大根とねずみ大根との交雑後代が旧田辺地区に土着したと考えています。
この頃は蕪の様な丸い大根でしたが、明治時代になると品種改良が進み、現在の様な円筒形状の青首大根になりました。
大正14年に編纂された「田辺町誌」によると
その理由は、土質が大根の栽培に好適である事と、栽培法に熟練によるものです。
世に之を田辺大根と称して、その名は各全国各地に轟きました。
という趣旨の記述が確認されています。
大正時代には全国的な知名度の大根でしたが、昭和25年頃に発生したウイルス病のため、「田辺大根」を栽培する農家が次第に減少しました。
しかし近年、なにわの伝統野菜の復活させる動きが広まっています。
現在は、大阪市の他にも、河南町、貝塚市、堺市など大坂府内各地で生産されています。
また、東住吉区の法楽寺の西横門の前の畑で栽培されていたやや長めの田辺大根が「横門大根」として大正時代に派生しました。
「田辺大根」の食べ方
大根の定番の煮物、漬け物、甘漬け、切干し大根などなんでも合います。
大根サラダ・・・甘味が強くて身が詰まっているので糸切りにしていただきます。
葉っぱには、うぶ毛がないため、、同じ「アブラナ科」の「コマツナ」の様にいただきます。
青空レストランで紹介される「田辺大根」レシピ
辛味餅
ふろふき大根
フライド大根
お好み焼き
そして、漫画「美味しんぼ」に登場したうまみ抜群の最高級出汁みぞれ鍋でポカポカ暖まります!!
「田辺大根」まとめ
☆ 浪速伝統野菜のひとつ
☆ 外見の特徴は、根部は白い円筒形で、末端が少し膨らんで丸みを帯びている
☆ 葉っぱには、うぶ毛がない
☆ 味は、肉質が緻密、粘りがあり、柔軟で糖度が高いのが特徴
☆ 江戸時代は蕪のような球形に近かい形で、明治時代に品種改良され円錐状になった
☆ 歴史が古く、天保7年(1836年)の「新改正摂津国名所旧跡細見大絵図」の「名物名産略記」に、その名が確認されている
☆ 1704年(宝永元年)大和川の付け替え工事が行われ大和川は現在の流れに代わりそれまで水害に悩まされていた田辺地区は肥沃な土地となり農作物の栽培が盛んになり大根も生産される様になった
☆ 元々白あがり京大根とねずみ大根との交雑後代が旧田辺地区に土着した品種と考えられている
☆ 大正14年に編纂された「田辺町誌」によるとその名は各全国各地に轟いたと記述されている
☆ 昭和25年頃に発生したウイルス病のため、「田辺大根」を栽培する農家が次第に減少し一時期は田辺地区から消えていた
☆ 近年は大阪市の他にも、河南町、貝塚市、堺市など大坂府内各地で生産される程「田辺大根」の生産が復活してきた
本日は最後までご覧いただきありがとうございました。
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