ノーウッド・トーマスとジョイスの70年の時を越えた初恋と再会の奇跡とアンビリバボーなプロポーズ

スポンサーリンク

第二次世界大戦末期、イギリスでのアンビリバボーな初恋の物語。

アメリカ陸軍の青年ノーウッド・トーマスと看護師を目指す4歳年下のイギリス人女性ジョイスは、お互い初恋の恋人同士ながらも二人の恋愛は突然幕を閉じました。

しかし、70年日に奇跡の再開の時が訪れます。

そこで突然終わった交際のアンビリバボーな理由が語られました。

フジテレビ系列「奇跡体験!アンビリバボー」2月14日放送は、バレンタイン2時間SPで
イギリスとアメリカの間で突然の終わりを迎えた70年前の海を越えた初恋のミステリーが解き明かされました。

ノーウッド・トーマスとジョイスの破局のアンビリバボーな理由とは?

スポンサーリンク

ノーウッド・トーマスとジョイス・デュラント・モリス

75年前の第二次世界大戦末期、イギリスではありふれたアメリカ軍人とイギリス人女性の恋愛のお話です。

しかし、このありふれた、恋愛はお互い愛し合っていたのに、言葉の表現の違いが誤解を与え破局に至りました。

ノーウッド・トーマスは、アメリカ陸軍の精鋭部隊「第101空挺師団」に所属する青年でした。

ノーウッド・トーマス
ノーウッド・トーマス

そして交際相手のイギリス人女性、ジョイス・デュラント・モリスさんは看護師になるのが夢でした。

ジョイス・デュラント・モリス

史上最大の作戦

二人の出会いから2ヶ月後にノーウッド・トーマスに対し出撃命令が下されました。

Dデイと呼ばれる史上最大の作戦ノルマンディー上陸作戦で、空挺師団に属するノーウッド・トーマスは
フランスにパラシュートで降下しフランスを解放する為の命令が下されたのでした。

※スティーブン・スピルバーグ監督の名作「プライベート・ライアン 」でマット・デイモン演ずるライアン二等兵はこの部隊の隊員の設定でした。

急な任務でノーウッド・トーマスは、ジョイスに連絡をする事は出来ませんでした。

ジョイスは新聞でノーウッド・トーマスはこの作戦に参加した事を知り、心配していましたが
ノーウッドは無事生還し、再びジョイスの元を訪れました。

出会いから5カ月後、デートの約束をしましたが、その日約束した時間になっても彼は現れませんでした。

その理由は、新たな任務により急きょオランダに部隊が移動しする事になったからした。

それから3ヶ月後に手紙がとどきました。

ノーウッド・トーマスは、フランス、ベルギーと移動した所で、本国アメリカに帰国していました。

それからは二人の間ではアメリカとイギリスの間で、手紙でのやり取りが続きました。

そして、ノーウッド・トーマスはジョイスにプロポーズの手紙を送りました。

そのプロポーズの台詞は、

“make my house a home”

「アメリカに来て家を居心地が良い場所にして下さい

でした。

それからノーウッド・トーマスの元にジョイスの返事がとどきました。

その返事とは・・・

あなたのお申し出はお断りします。」

ノーウッド・トーマスはいくら考えてもなぜ彼女が断ったのか分かりませんでした。

遠距離恋愛で「ジョイスには、好きになった人が出来たに違いない」と思う様にし、自分の気持ちを断ち切る様にしました。

航空事故

ノーウッド・トーマスは他の女性と結婚し、二人の息子に恵まれました。

51年経った73歳の時、
1996年ロングアイランド沖で230名の絶望的な航空機事故が起きた事をニュースで知り
死亡者のリストには
「ジョイス 看護師」
の名が有りました。

ジョイスは折角看護師になるという夢を叶えたのに・・・

半世紀以上経ったのニュースで初恋の人が他界した事を知りました。

それから5年後56年連れ添った妻が他界しました。

2015年92歳のある日、ノーウッド・トーマスの元に
ある新聞社の記者から電話がかかりました。

思いがけない知らせ

イギリスでは、ジョイスの息子ロブさんが、パソコンの使いかたをジョイスに教えていました。

そこで母親の初恋の人を調べて見ようと提案しました。

そこでジョイスの初恋の男性

「ノーウッド・トーマス 第101空挺部隊」

と入力し検索しました。

そこには、バージニア新聞の古い記事が検索結果として表示されました。

その記事は、2010年88歳の誕生日にスカイダイビングをした”ノーウッド・トーマス”という名前の老人の画像がありました。

そして、ノルマンディー上陸作戦の第101空挺部隊に参加していた時代のプロフィール写真が掲載されていました。

まさかノーウッド・トーマスの事が本当にわかるとはジョイスは思ってもいませんでした。

ロブさんは、新聞記事を書いた記者に経緯を連絡しました。

その記者こそが2015年92歳のある日にノーウッド・トーマスに電話をかけてきた人物でした。

スポンサードリンク



70年の時を経て謎がついに解き明かされた70年越しの真実とは!?

2015年11月、新記者の計らいによりノーウッド・トーマスとジョイスは、70年以上ぶりにスカイプでコンタクトを取りました。

ノーウッド・トーマスは記者から連絡を受けるまで、デュラントさんは航空事故で他界した思っており半信半疑でした。

これをジョイスに伝えると、ジョイスは笑って、

「いいえ、違います」と答えました。

それからは二人は、75年前の二人に戻り2時間以上はなしこみました。

そして、ノーウッド・トーマスは、一番気がかりな事を質問する決心をしました。

「何故、プロポーズを断ったの?」

と問うと

「プロポーズ?何の事?」

と逆に問いただされました。

プロポーズの言葉”make my house a home”の意味

ノーウッド・トーマスはプロポースの表現として

“make my house a home”

という言葉を使いました。

家を居心地が良い場所にする」という意味です。

1916年アメリカの詩人・エドガー・アルバート・ゲストが誌の中で使ったのが始まりで
「家を居心地が良い場所にする」という叙情的な言い回しが
アメリカ人が好むプロポーズの言葉となっていました。

しかし、イギリス人のジョイスはそのままの言葉としてとらえ
家事をしてくれ

つまり、「家政婦として来てくれ

と勘違いしていたのでした。

その為、プロポーズとは気づかず、にべもなく「お断りします」
と返事をしていたのでした。

ネットで寄付活動が始まる

この70年ぶりのネットでの再開を知ったユーザーにより
ノーウッド・トーマスをオーストラリアに行ってジョイスと実際に再開させる寄付金を募るネットのファウンド
が立ち上がりました。

そして、7,000ドル以上の寄付金が集まりました。

この事を知ったニュージーランド航空が粋な計らいを行いました。

ノーウッド・トーマスとの為に独りでは歩く事もままならないノーウッド・トーマスの為に
付き添う息子の為に無料で航空券とホテルを手配してくれたのでした。

トーマスさんは前立腺癌に侵されていたのです。

そして、300人以上の見知らぬ人達の親切心とニュージーランド航空の粋な計らいにより、
2016年の2月上旬にオーストラリアで二人はネットでは無く実際に再開し、抱き合って喜ぶのでした。


ジョイスさんは視力の大部分を失っておりノーウッド・トーマスが本を代読するなど二人の時間を過ごしました。

こうして二人は、バレンタインデーを含めた2週間を一緒に過ごしました。

それからは、トーマスさんとデュラントさんは、ほぼ毎日回電話をかけ合っていたそうです。 

ノーウッド・トーマスは、2017年の春に再びオーストラリアを訪れる計画をしていました。

しかし、2016年10月頃、ジョイスさんが心臓発作を起こしてしまいました。


そして、2016年12月9日に亡くなってしまいました・・・。

二人にとっての初恋は人生最後の恋となりました。

ジョイスの息子さんは
ノーウッド・トーマスとの再開について、
母親は人生最高の日を過ごした
と語りました。

ノーウッド・トーマスはアンビリバボーの取材に
「もし誰か愛するひとが出きたら自分の心すべてで愛して下さい。」
とメッセージを残しました。

おわりに

同じ英語が母国語なのに、
国によって意味合いが違うという事から行き違いが生じるなんて皮肉な事ですね。

本日は最後までご覧いただきありがとうございました。

スポンサーリンク