ディアトロフ峠事件 放射能説の真相!アンビリバボーのネタバレと大気物理学やカルマン渦の真実の本は?

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奇跡体験!アンビリバボー(2018年12月6日)は、「謎を解け!真冬のミステリー2時間スペシャル」と題し、20世紀最大の謎と言われ、世界で映画化やゲーム化もされた「ディアトロフ峠事件」のアンビリバボーな謎の真相・真実に迫ります。

「ディアトロフ峠事件」とは、現在のロシアのウラル山脈北部ホラート・シャフイル山のディアトロフ峠で起こった「正体不明の抗い難い力」によりウラル科学技術学校(現在のウラル工科大学)の生徒や卒業生で構成される登山家9人(男性7名、女性2名)が奇妙な変死を遂げた事件です。

「ディアトロフ峠事件」とは登山家一行のリーダー、イーゴリ・アレクセーエヴィチ・ディアトロフ氏の名前から冠された事件です。

その変死とは、全員靴を履いておらず、矛盾脱衣が原因と思われる下着姿であったりと経験豊富な登山家一行とは思えない凍死であったり・・・

テントは内側からナイフらしきもので引き裂かれているが、荷物は残ったまま・・・

更に数名の服からは高い放射能量が測定されたり・・・

外傷は無いのに頭蓋骨陥没など、交通事故の様な圧力を加えられて亡くなっていました。

更に女性登山家は目と舌が無い状態で発見されました。

犯人不在の事件として処理され、原因は現在も不明なままです。

噂される説は、
女性登山家の舌が無かった事から鹿の舌を食べるという地元雪男のメンクというイエティ説
大陸間弾道ミサイル基地と核施設が近くにあった事や服から異常な放射能が計測された事から軍の関与説
全住民による虐殺説
事件当日不思議なオレンジ色の光が輝いていた事からUFO説
自然現象から登山家達がパニックになったとの大気物理学説、カルマン渦説

など諸説が噂されています・・・。

※追記:アンビリバボーでは「ヘアピン渦」がディアトロフ峠事件の真相と取り上げました。

ヘアピン渦はコチラに投稿しました。

更に事件から60年近く経った現在、ロシアのブロガーが軍の関与を指摘する情報を発信しています!

この投稿では、放射能や軍の関与説のどの謎の真相・真実、アンビリバボーのネタバレの一部解説します。

その前に被害にあったディアトロフ一行について解説します。

なお、画像はグロすぎるので掲載しません、その代わりこの事件の真相に迫った本を紹介します。

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ディアトロフ隊

ディアトロフ隊の構成は当初登山家10人(男性8名、女性2名)の構成で登山を始めました。

しかし、ユーリー・エフィモヴィチ・ユーディンが、体調不良のため1月28日に引き返し、難を逃れました。

その為、被害にあったのは男性7名、女性2名のメンバーです。

後にユーディン氏は、ディアトロフ隊の持ち物や、内情に関するいくつかの貴重な証言を残しています。

低体温症と判定した登山家

【テントから500メートル付近で発見】

イーゴリ・アレクセーエヴィチ・ディアトロフ(当時23歳)

登山経験豊富な優秀なアスリートでもありこの登山隊のリーダーで、ディアトロフ峠は彼の名から命名されました。

遺体発見時にドロシェンコの服を着ていました。

ジナイダ・アレクセーエヴナ・コルモゴロワ“ジーナ”(当時22歳・ウラル工科大学四回生)

嘗てドロシェンコと交際していました。

経験豊富なハイカーで、毒蛇に噛まれてもトレッキングを完遂するほどの精神力の持ち主。

遺体発見時はまともな服装をしていました。

ルステム・ウラジーミロヴィチ・スロボディン(当時23歳/ウラル工科大学卒業生)

遺体発見時時、右足にだけブーツを履いていました。

また、格闘した際によく見られる挫傷と頭部に外国の鈍器で叩かれたような破壊の跡がありました。

【ヒマラヤスギの下で発見】

ユーリー・ニコラエヴィチ・ドロシェンコ

ジーナの元彼で、交際解消後も、ジーナやディアトロフと良好な関係を維持していました。

クマを地質ハンマーだけで追い払ったという武勇伝の持ち主です。

ユーリー・アレクセーエヴィチ・クリヴォニシチェンコ “ゲオルギー”(当時24歳/ラル工科大学卒業直後に事件に巻き込まれる)

ムードメーカーでありシゥートカ(ロシアの冗談)で笑いを誘うだけでなく、マンドリンを奏でて、いつも友人たちを楽しませていました。

放射能についての高度な知識を持っていた技術者でもあり、持参した服には高い放射能量が・・・?

遺体発見時、遺体はほとんど下着姿で、靴すら履いていませんでした。

さらに足に火傷をおっていました。

死因不明の登山家

ユーリー、ゲオルギーの遺体が発見されたヒマラヤスギの木から更に森に75メートル分け入った先にある渓谷の中で、事件から2ヶ月に、4メートルの深さの雪の下から4人の遺体が発見されました。

他の登山家一行に比べ、骨への損傷が激しく、かつそれが広範囲に至っていたため、剖検はそれを車に轢かれたような状態でした。

【事件から2ヶ月に崖で発見】
リュドミラ・アレクサンドロヴナ・ドゥビニナ “リューダ”(当時20歳/ウラル工科大学3回生)

もっとも不可解な最期でした。

・舌がまるごと失われている。
・眼球も両目が失われている。
・胃に残っていた血液の状態から、彼女は生きたままの状態で舌を失った考えられた。
・衣服からは高い放射能量が検出されている。

セミョーン・アレクサンドロヴィチ・ゾロタリョフ “サシャ”

アレクサンドル・セルゲーエヴィチ・コレヴァトフ(当時24歳/ウラル工科大学で物理学を学ぶ4回生)

優秀な学生として評価されており、原子力関連の研究室に身を置いたこともありました。

遺体発見時、腐敗・分解が著しく、解剖からも詳細な情報は得られませんでした。

ニコライ・ウラジーミロヴィチ・チボ=ブリニョーリ ”コリャ”(当時23歳/ウラル工科大学を1958年卒業)

父親が処刑されるという不幸な生い立ちにありながらも、ユーモアにあふれた明るい人物で、率直で優しい人柄により、先輩後輩を問わず愛されていました。

皮肉にも母親に「これを最後のトレッキングにする」と約束していましたが、こんな悲しい最後の登山となってしまいました。

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放射能と軍の関与説

ディアトロフ峠事件【イエティ説】はコチラ
ディアトロフ峠事件【大気物理学説】の本[死に山:世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相]はコチラ

ディアトロフ峠事件では唯一の生存者ユーリ・ユージン氏が居ます。

登山の途中で体調が悪化し引き返した10人目の登山者ユーリ・ユージン氏は、2013年、76歳で死去していますが、

一部のジャーナリストのインタビューに答えています。

ユージン氏は、ディアトロフ峠事件後、当局の要請で仲間の遺品を確認していました。

その中に”見慣れないもの”に気づいた事を語伝えていました。

ロシア語で”オドモッカ”と呼ばれる軍用のブーツカバーで、1950年代のソ連軍とKGBに支給されていたものでした。

軍用のブーツカバーにより裏付けられるのは、捜索隊よりも軍が先にディアトロフ一行の遭難現場に到着したという事でした。

では、何、軍が捜索隊よりも先に到着していたのでしょうか?

ウラル山脈ではロシア軍が秘密実験を行っていたという噂も絶えません。

軍がこの事件に関与していた?

という疑問が湧きます。

マイクの考察

※この項目は「ディアトロフ峠事件 イエティ説」の再録です。

この事件を現地を訪れ真相を探った探検家・マイク・リベッキーによれば、軍が関与しているという説として、ミサイル(ロケット)が関係があると考えています。

ディアトロフ一行に残れた日記によると、ディアトロフ達はテントから森を監視していました。

そして、事件当日である登山7日目の19:03に怪しげな光が発生し、この光は、ディアトロフ達以外にも見たという証言が有りました。

この時、撮影したと思われる写真も後に発見されたカメラから確認されています。

後に判明したのは、事件当日、ミサイル発射実験が行われていたとの事でした。

ディアトロフ一行がキャンプを行った場所は、大陸間弾道ミサイルの試験発射が何度か行われたバイコヌール宇宙基地から、ソビエト連邦内の主要な核実験場であったノヴァヤゼムリャのチェルナヤ・グバに直接通じる道の途上に位置していました。

ミサイル発射実験は、初の2弾ロケット発射実験が目的でした。

※大陸間弾道ミサイルR-7セミョールカ (Семёрка, Semyorka) だったと云われています。

空へ向けて撃ち、発射による衝撃を調べる事が目的でした。

誰にも悟られない様に、民家のない地域が実験場に選ばれましたが、ミサイルはディアトロフ一行のキャンプ地にほど近い場所に着弾しました。

学生達が残した写真で、空に光る怪しげな光の写真は、大きな光の束と共にミサイルの空中爆発を思われる小さな光と考えられました。

マイクはイエティがこの光に怯えたことによりパニックに陥り、学生たちが犠牲になったのでは?

と考えました。

ミサイルがディアトロフ一行のキャンプ地にほど近い場所に着弾した事を裏付ける証拠が近年発見されています。

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直径30メートルのクレーター

超常現象や不可解な事件に関するオンラインジャーナルを投稿しているロシア人ブロガーのワレンチン・デグテリョフ氏が事件から60年近くを経た今、新説を唱えています。

デグテリョフ氏によれば威力の小さなミサイルがディアトロフ一行のキャンプ地の近くの山に直撃した事を証明するクレータを衛星写真で発見しました。

デグテリョフ氏のオンラインジャーナルで彼は、

ディアトロフ一行が遭難した一帯の衛星写真を詳しく調べると、

“直径30メートルのクレーター”があり、その距離は、一行彼らの”テントから僅か約3キロメートル”しか離れていないと述べています。

デグテリョフ氏が示した衛星写真では、クレーターがある場所は一帯が赤く変色していました。

それは、花崗岩(かこうがん)は一度溶解し、基本的に赤いガラスに変質した為と思われます。

この事から、ミサイルの衝突の際の温度は非常に高かったと考えられる・・・

と語っています。

そして、ミサイルはおそらく軌道から外れて針路を変え、誤って山の側面に激突したのではないか?

との解説をしています。

また、ディアトロフ一行は、このミサイル激突による衝撃波に驚き、更に眩しい光に目が眩んで、恐らく一時的に視力を失ったと思われます。

そして動転し、着のみ着のままでテントから逃げ出し、森へ駆け下りた事が説明できる・・・

と解説しています。

犠牲者の衣服から放射能が検出されてた件に関しても、来春にでも、現場を徹底的に調べる必要がある。

もし実際に放射能が検出され、衝突が原因と思われるのクレーターが発見されれば、ディアトロフ峠の謎は解けたと考えて良いだろう。

と解説しています。

また、ミサイル説を裏付ける証拠として、2008年ディアトロフ峠事件に興味を持つ観光客が、ディアトロフ峠の近くで仲間やガイドと共に付近をトレッキング中、大きな岩の側に縦横長さ90cmほどの金属製の板で、表面には正方形のへこみが規則正しく並んでいる不思議な金属片を発見しました。

これはロシアの大陸間弾道ミサイルMR UR-100の燃料タンクの一部と考えられています。

MR UR-100は、ディアトロフ峠事件後に生産が始まったミサイルですが、この周辺ではミサイルの実験が頻繁に行われている事を裏付けています。

軍・当局の隠蔽工作?

軍の関与を疑わせる事例として、興味深いのが元調査官レヴ・イヴァノフ氏の処遇です。

元調査官レヴ・イヴァノフ氏は1959年に行われた公式審問記録において・・・

「空を飛翔する発光体を見たという証言を報告後、組織の最上部からディアトロフ事件の調査委員を解任された」

と証言しています。

ロシア当局による何らかの隠蔽工作があった事を疑わせる一件ですね。

※この公式審問記録は1990年に公開されています。

まとめ

女性登山家の舌が無かった事から鹿の舌を食べるという地元雪男のメンクというイエティ説

については、コチラに投稿しました。

本日は最後までご覧いただきありがとうございました。

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