プロフェッショナル 仕事の流儀 絵本作家・かこさとし[だるまちゃん]が人気の代表作!6月4日の見逃し動画と再放送
NHKプロフェッショナル・仕事の流儀(第361回 2018年6月4日-月曜日-放送)は、「ただこどもたちのために かこさとし最後の記録」と題し、絵本作家・かこさとしの仕事の流儀が紹介されます。
「だるまちゃんとてんぐちゃん」「からすのパンやさん」など、半世紀以上で500を超える絵本作品を生み出してきた絵本作家・かこさとしさんが今年5月2日、慢性腎不全のため死去、享年92歳でした。
今回のプロフェッショナル・仕事の流儀では、90才を超えてなお意欲的に絵本を制作と向き合い「どろぼうがっこう」などの続編を続々と発表する姿が紹介されます。
死期を悟ったかこさとしさんとご家族は「生きた証しをのこせるせるな」と、1か月間に渡る創作の現場の密着取材を体調が芳しくないにも関わらず承諾し、奇しくも撮影が終わって1ヶ月経たない5月2日になくなりました。
つまり今回の放送は、追憶番組では無く、最後まで、絵本作家として生きた一人のプロフェッショナルの生きた証しなのです。
今回の投稿では・・・
などを紹介します。
絵本作家・かこさとし(加古里子)さんのプロフィール
絵本作家・かこさとしさんは、1959年、年齢は33歳の時、絵本「だむのおじさんたち」でデビューしました。
以来かこさとしさんは、半世紀以上に渡り精力的に絵本を描き続けた結果、著作は600点以上に及び、幼稚園の図書館にも置かれるなどして、親子3代に渡り世代を超えて愛され続けています。
著書に主人公として「だるま」を用いたシリーズ「だるまちゃんとてんぐちゃん」「どろぼうがっこう」などがあります。
だるまちゃんは「◯◯って何?」と何にでも興味を示す子どもたちを擬人化したキャラクターでだるまちゃんが子供と同じ目線で世の中で初めて目にする物を感じ、何であるかを学ぶ内容です。
また、代表作の一つ「からすのパンやさん」は発行部数が200万部を超えています。
かこさとしさんは晩年まで未来ある子供達のために衰えゆく体に鞭打ち、命を削るがごとく筆を握り創作を続けました。
一体何がそうさせたのでしょうか?
それは、自身が体験した少年時代の失敗にあります・・・
パイロットを夢見る中学生時代
1938年(12歳)、時は日中戦争の最中、東京府立第九中学校に入学し、将来は自分も軍人となってお国のために死ぬことに疑いもなく育った軍国少年でもあった為、飛行機に乗り戦う航空士官を目指しました。
航空士官を目指したのは他にも3人兄弟の末っ子で、一回り上の兄が医学生であった為、大変な学費がかかりますが、航空士官を育成する士官学校なら、学問を学びながら給料も貰え実家に負担たがかからないという理由も有りました。
この頃は大家族が普通で大学には行きたいが、学費が捻出出来ないとの理由から、学問を学びながら給料も貰える今の防衛大学にあたる海軍兵学校や陸軍士官学校に進学する学生も少なくありませんでした。
日本全国の海軍の精鋭パイロットを集め編成された愛媛県の航空部隊343空で零戦の後継機である紫電改を操った撃墜王・菅野 直(かんの なおし)大尉も兄が医大生でお金がかかる為、大学を諦め海軍兵学校に進学しエースパイロットになった一人です。
菅野大尉の同期には、1944年10月25日に散華した初の神風特別攻撃隊の一隊である「敷島隊」の関 行男(せき ゆきお)隊長がいました。
パイロットを断念
パイロットに、歴史(西洋史、東洋史)や国語は不要と思い、理科と数学だけに集中し勉強しました。
しかし、近視が進み視力が悪くなり、パイロットである条件の視力が満たせず士官学校の受験資格がなくなりパイロットへの道は閉ざされました。
※後に緑内障により近視が進み左眼は殆ど見えなくなりました。
では、軍人以外に国や社会に役立つことは無いか?
と悩んだ結果、パイロットになる為に猛勉強した理科の道に進む事を決意しました。
里子誕生
そして、1943年(17歳)旧制・成蹊高等学校に進学しますが、実際には授業を満足に受けることも出来ず、三交代で軍需工場に勤労動員され働かされていました。
学生達の交流目的の回覧雑誌に「里子」の俳人名で投稿した俳句が国語の教師で俳人の中村草田男先生の目にとまり、俳句の指導を受けることになりました。
実はかこさとしさんは、士官学校受験に集中する為、図書館の利用を自ら禁止した程の読書家だったのでした。
そして俳人名「里子」が「加古里子」のペンネームに引き継がれるのでした。
敗戦が絵本作家への原動力となった
1945年(19歳)で東京帝国大学工学部応用化学科に入学し、疎開先の三重県で終戦を迎えました。
9月からは授業が再開しますが、かこさとしさんには、負い目が有りました。
自らをだらしなく恥ずかしい「死に残り」と自虐する様になってしまいました。
ボランティアで紙芝居を始めた
大学では、勉強の傍ら現劇の脚本を書き演出も行うようになっていました。
そして、1948年(22歳)大学卒業後、化学工業会社の昭和電工に入社し、仕事の傍ら、戦後の貧しい人の多く住む地域に居住し住民に医療や教育などのサポートを行う社会事業でるセツルメント活動を行う様になっていました。
1950年に東京・大井町「みどりのいえ」でのセツルメント活動を皮切りに、1951年(25歳)には川崎のセツルメント活動の拠点を移しました。
1953年(27歳)第1回平和展に出品した「わっしょいわっしょいのおどり」という絵葉書をみた出版社の編集長の目に留まり絵本を描く機会が回ってきました。
1959年(33歳)プロの絵本作家としてのデビュー作「ダムのおじさんたち」が出版されました。
そして、1973年47歳で会社を早期退職し、フリーの絵本作家としての生活が始まりました。
1966年には、技術士(化学)資格を取得しています。
絵本作家としての想い
敗戦により戦前、戦中の値観がひっくり返り、自分を含めた大人たちが戦争の反省もせず、愚かでまちがった判断があたかも無かった事の様に蓋をしてしまった事に憤りを感じていました。
そんな体験がある為
との想いを絵本にぶつけました。
そして、
という強い祈りも絵本に込められています。
代表作
プロの絵本作家としてのデビュー作「ダムのおじさんたち」が工学の知識を活かしダムが以下にして出来上がるか?
だけでなく、ダム建設で働くおじさんたちがどうやって休み時間を過ごすか?
などを子供に優しく解説する本だった事もあり、多くの子供に優しく教える解説絵本を多く出版しています。
同様に「地下鉄のできるまで」や・・・
それが、「かわ」「地球」「海」など科学の知識を活かし宇宙や地球の成り立ちを描いた科学絵本であったり・・・
政治についても解説をしており、30年以上前に描かれた「選挙」ってなに?「民主主義」って、どういうこと?がテーマの「こどものとうひょう おとなのせんきょ」は、18歳から選挙権が与えられる様になり見直され再販されるまでになました。
何よりも人気作がダルマが主人公の「だるまちゃん」シリーズです。
「だるまちゃん」は、欲しがりやさんで、他の人が持っているものを欲しがりますが、ほしい物その物を買ったりするのではなく、家にある物で似ているものを工夫して欲しいものに血がづける努力をします。
「だるまちゃんとてんぐちゃん」では、天狗の格好をしたいがだめに例えば「うちわ」は、「やつでのはっぱ」、「帽子」は「茶碗を逆さにかぶる」と言った具合に工夫して天狗の姿に近付こうとします。
◆読み聞かせ動画:だるまちゃんとてんぐちゃん
いろんな物を欲しがったり、なぜ?何?と色々興味を持つ「だるまちゃん」の姿が絵本を楽しみにしている子供たちの姿を反映しているのです。
そしてもう一つの代表作が「からすの◯◯やさん」のシリーズです。
「からすの◯◯やさん」で一番有名なのが「からすのパンやさん」です。
ページいっぱいに色々な種類のパンがずらっと並び見ているだけで美味しそうでパンの種類を覚えられ楽しくなります。
このシリーズは「からすのてんぷらやさん」
「からすのおかしやさん」
などが有ります。
また「ウォーリーをさがせ!(1987年)」が出版される遥か前の1970年に出版された画面の何処に「とこちゃん」が居るかを探す「とこちゃんはどこ」も外せません。
そして、自分自身の自叙伝とも言える「未来のだるまちゃんへ」を出版しています。
再放送で観るよりも動画配信がオススメです。
プロフェッショナル仕事の流儀は再放送が有りますが、不定期で特に事故や事件、イベントなどがあると先送りされてしまいます。
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※本ページの情報は、2018年1月時点でのものです。
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まとめ
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本日は最後までご覧いただきありがとうございました。
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