アンビリバボー 桧原桜物語(ひばるさくら)福岡 短歌のリレーの奇跡!4月20日
奇跡体験!アンビリバボー(2017年4月20日放送)では、福岡県南区の桧原桜(ひばるさくら)の伐採を食い止めようとした名も知らない者同士の桜を守ろうとする短歌のリレーの果たしたゴールの奇跡が紹介されます。
桧原桜(ひばるさくら)花守り達の心のリレー
今から33年前の1984年、土井さんは毎年の春先、銀行員への通勤途中に道端に咲く9本の桜楽しみにしていました。
しかし、ある日9本の内、1本が伐採されている事に気付きました。
9本の桜は「桧原桜(ひばるさくら)」と呼ばれ、昔から地元の人々を癒やしていました。
「道路の拡張工事で切られてしまったのか・・・。」
「残りの桧原桜も伐採されてしまうのだろうか・・・。」
なんとか桧原桜を救う方法がないか?
日中も土井さんは桧原桜の事が気になって仕方が有りませんでした。
そこで土井さんは名案を思いつきました!
翌朝、未明、まだ周りが寝静まっている頃、一遍の短歌を紙に綴り、残った桧原桜にくくりつけました。
花守 進藤市長殿
「花あわれ せめては あと二旬(二十日間) つい(最後の)の開花を ゆるし給え」
蕾をいっぱい付けた樹を伐採するのは可哀想。
せめて後、20日、最後に花が咲いて散るまで伐採を待って欲しい
土井さんが短歌を桧原桜の樹に貼り付けた僅か数分後、近所に住む九州電力の社長・川合辰雄(かわいたつお)さんが通りかかりその短歌を読みました。
川合社長も土井さんと同じく桧原桜の伐採に心を痛めていたのでした。
その日、川合社長は部下の大島さんに相談を持ちかけました。
桧原桜の状況の確認の為、現場を訪ねましたが、公共事業を止めることは出来ないと認識しました。
しかしあるアイデアが浮かびました。
西日本新聞(1984年3月23日発行)に「桜あわれ最後の・・・」という見出しで短歌が貼り付けられた桧原桜の写真が掲載されたのでした!
大島さんが知り合いの西日本新聞の記者マツナガ氏に「桧原に行ったら面白い事があるよ!」
とだけ告げ、ジャーナリストとして気になったマツナガ氏は「桧原」に直行し、短歌を見つけて記事にしたのでした!
そしてこの記事が奇跡を起こしました!
この記事は進藤一馬(かずま)・福岡市長の目に留まる事となり、進藤・福岡市長は、返歌を桧原桜に貼り付けました。
桧原桜
「桜花惜しむ 大和心のうるわしや とわに匂わん 花の心は」
(香端麻)」
市長である自分でも公共事業を止めること出来ない、桜の木は切られてしまうが、あなたの心は確かに受け止めました。
工事担当者の石井氏に桜の木の伐採をせめて桜の花が散るまで待てないだろうか?
と相談を持ちかけました。
石井氏はプロジェクトチームで桜の木の伐採について協議した結果、
池を埋め道路を埋立地を通る様変更し、且つ池側にあった桜を道路脇に移す
お互いに名も知らない花守りが繋いだ心のリレーにより僅か20日の開花から永遠の開花を許されたのでした。
そして平成19年よりこの一帯は「桧原桜公園」としてから整備されました。
8本だった桜が13本となり、春には美しい桜の咲かせ、市民の応募した短歌が飾られるまでになり、福岡市民の憩いの場となっています。
インスタグラムでも美しい桧原桜の写真が投稿され賑わっています。
桧原桜公園の場所
住所:福岡県福岡市南区桧原1丁目5
まとめ
今回にのアンビリバボーは桜にまつわる奇跡の紹介です。
ウズベキスタンのオペラハウス「ナヴォイ劇場」を建築した陸軍・永田行夫大尉と桜を巡るエピソードに関しては別ページに投稿しています。
→ オペラハウス「ナヴォイ劇場」を建築した陸軍・永田行夫大尉と桜を巡るエピソード←
また、桜がナヴォイ劇場を始め、ウズベキスタンに咲く様になったキッカケとなった「ヤッカサライ墓地(タシケント日本人墓地)」の桜の木のエピソードは別ページに投稿いたしました。
→ 「ヤッカサライ墓地(タシケント日本人墓地)」の桜の木←
併せてご覧下さい。
本日は最後までご覧いただきありがとうございました。
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